2月24日 解放への抑圧 |
TVで、こんな会話を耳にした。
↓
女性が自分の夫を紹介するときのセリフ。
「主人です。」
この姉妹的セリフとして、こんなセリフもある。
「家内です。」
これを聞いて、何かが引っ掛かからないだろうか?
オレは上記のようなセリフを聞くと、何だか引っ掛かる。
『主人』
自分の「主」ってことだ。 何でこれが『夫』と同意語なのか?
『家内』
家の中、内側ってことだ。 何でこれが『妻』と同意語なのか?
オレはこれらの単語が嫌いだ。
オレは将来、誰かと所帯を持つことになっても、
妻のご主人様になるつもりも無いし、
妻を家の中に拉致監禁するつもりも無い。
従って、『家内』や『主人』といったセリフは使わない、使わせない。
今日は、フェミニズム的なことを考えさせられた気がする。
しかし「フェミニズム」とは何か?
フェミニズムとは女権拡張主義・運動あるいは女性解放思想・運動と訳される。
オレにとって、「フェミニズム」という思想・運動が望む物とは、
個人の潜在的な意識の中にある既成の男女観の不合理に気付き、
抑圧構造を解体することであり、自由な思考・選択を取り戻すことである、
と思っている。
一言で言えば、「個人の自由領域を確保すること」だと思う。
しかし、最近このことを考えるたびに頭が重苦しくなる。
フェミニズム運動は、女性の、女性による、女性のための運動だ
とする人が明らかに存在していることだ。
「男性は今まで女性を抑圧してきた。男性も苦しむべきだ。」
と言う人は、男性中心の価値観を解体することよりも、
女性中心の価値観を作り上げようとしているのではないだろうか?
そこには女性個人の自由な領域は存在していないはずだ。
女性は男性によって抑圧されているのだとヒステリーに叫び、
男性の価値観に対する新しい価値観を作るだけでは、
女性は、「男性の価値観」か「女性の価値観」かの選択しかしていないと言っていい。
男性中心の価値観を解体することは、
女性中心の価値観を作り出すことではない。
既存のフェミニズムもまた、男性中心の価値観と同じく
女性を抑圧し、自分で考えることを女性から奪っているのではないか?
女性解放思想・運動とは何かが異なっているのではないか?
フェミニズムには、男女平等・女性解放といった理念が根底にある。
しかし、どういう社会が平等な社会なのか、
女性が解放されるとはどういうことなのかというと、
非常に難しい問題になると思う。
ちょっと考える必要があるだろう。
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